日系人と日本人の健康調査研究結果
序にかえて
行方令博士の米国シアトル市における疫学研究の総まとめである「シアトルにおける30年にわたる日系人と日本人の比較健康調査報告」を、予防医学広報事業団のDVDとして上梓することになったのは誠に大きな喜びである。
移民の疫学的研究は米国におけるがん死亡率の大きな人種差を究明するため、米国NCI 生物学部長ウイリアム・ヘンセル先生ががんという原因不明の慢性病は生活習慣と密接に関連するとして、何年もかけて生活習慣調査をベースとする症例対照研究の方法論を確立され、まず消化器がんの発生要因を日系米人と米白人、次いで、日本人との比較研究、さらに大規模な国際研究でいくつかの主要な発生要因を突き止められた。明らかになった発生要因はきわめて説得力があり、実際の予防対策の道を開かれたのである。画期的な業績であり、近代疫学研究が誕生したわけである。私はヘンセル先生の共同研究者であった故瀬木三雄東北大学教授の要請もあり、日本側の協力者として大腸がんの症例対照研究を分担し、その研究方法の科学性と斬新さに驚嘆した一人である。
その後、米国白人に高率で日本人にきわめて低い心疾患死亡率や、逆に日本人に高い脳卒中死亡率の原因究明に、Ni―Hon―San Study が計画され、1975年には主要なリスク要因や発生機序が解明され、その後の予防対策に大きく貢献したことは周知である。
行方博士はこのNi―Hon―San―Studyに刺激され、担当した地域の米国シアトル市ではどのようになっているかの研究を計画された。1986年のことである。日本の疫学の権威や日本健康増進財団の協力を得られ、新しい検査法を多く取り入れ、綿密な計画を立てられ、シアトル市の住民の大きな協力を得て、1989年研究はスタートした。多くの研究者が長年にわたり協力を惜しまなかったのは行方博士のお人柄もあったと思う。ご苦労続きであつたと思うが、多くの難関を突破され、次々に業績を発表され、30年かかり目的を達成された。定年退職の時期を迎えられ、日本健康増進財団前専務理事、鈴木賢二特別顧問とともに、この偉業を日本語でまとめられた。副題は、「日本人の健康に、アメリカからのメッセージ、シアトル日系人健康調査からの教訓 ~見えてきた将来の日本人の健康像~」とされた。行方博士の業績は逐年紹介されていたが、こうしてまとまった読み物となると、誠に素晴らしく、広く日本の若手の疫学者に読んでもらいたいと思っていた。たまたま私がお送りした、当事業団のDVD、玉腰曉子北大教授の編集になる「JOCC Study これまでの成果とあゆみ」、これは日本疫学会会員が協力した13万人余の大規模ながんコホート研究の30年間の成果のまとめであるが、これを見られて、シアトルの成果をこうしたDVDで残せないかとの相談を寄せられた。事業団の役員会に諮り、全員一致の承諾を得た。改めて、行方先生に新しく編集していただき、行方先生の共同研究者の承諾も得られたので、このDVDが出来上がったのである。
行方博士は新潟大学教育学部を卒業後、東京大学大学院健康教育学科で修士、博士課程を終了後、米国イリノイ大学でPh.D.を取得され、イリノイ大学の公衆衛生学部で環境疫学を研究、ワシントン州シアトル市、パテル記念研究所で疫学研究、1989年からシアトル市パシフィック・リム疾病予防センター所長となられ、この健康調査に専心された。研究経過と成果の詳しい内容は、列挙された英文論文に詳しいので、ぜひこれも参考にしていただきたい。
私が行方博士を知ったのは、1987年、日本で開催された國際シンポジアム“The International Conference on Indoor Air Quality” の機会である。私は会長の故春日斉先生からEpidemiology of Passive Smoking and Lung Cancerというsessionの司会を依頼された。同時に学会からCo-chairmanとして行方先生が推薦された。当時はこのpassive smoking 説は、国際的にはまだ認められていない時代であり、難しい問題であった。会議では案の定、故平山雄先生らの研究成果に対して、世界から集まった疫学の権威者から忌憚のない意見と、鋭い批判が相次ぎ、議論をまとめるのは容易ではなかった。行方博士はすでに第10回IEA総会で大気汚染と健康障害についてのworkshopで座長を務め、その記録も著書として発刊されておられたこともあり、こうした論議をうまくバランスを取られ進行を助けられた。おかげで無難なまとめにもってゆくことができた。その後、各國での研究が進み、passive smoking は広く認められることになった。私は行方博士の力量と人柄に感じ、その後研究情報の交換を続けることになった。そして、シアトルでの活動を知ったわけである。これには東大名誉教授故前田和甫先生のお陰によるところも大きい。
このDVDが多くの疫学者の目に触れ、参考になることを期待している。
また、このDVDの内容は、行方博士のシアトルのホームページに載せられるが、日本では名古屋大学予防医学教室のホームページで閲覧できる。
令和4年3月
予防医学広報事業団理事長
青木國雄
(青木國雄のプロファイル)